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20年前見かけた、謎のレガシィの話 [くるまネタ]


その昔、サファリラリーのお手伝いでアフリカはケニアに行ったのが1996年。今年ですでに20年も経過してしまいました・・・
今回のお話は、その時見かけたのですが詳細不明のまま今に至る謎のレガシィのお話です~。




それは競技中に見かけた、現地プライベーターのエントリーと思しきレガシィ。

上画像は、競技終了後表彰式会場で売られていた生写真を買って来た物なのですが、おいらが肉眼で見かけた後リタイアした様子でカーナンバーにはテープで斜線が貼られています。

「555」のロゴがワークスチームみたいなのですが、外観はほぼノーマルな初代レガシィ・・・アルミホイールやフォグランプも純正のまま。Rスポイラーが無い所を見ると、「RS-R」と言うグレードでは無いかな?と。

間近で見て一番ビックリしたのは、この車のナンバープレート。

ボヤケていて解りづらいかと思いますが、日本の「練馬」ナンバーのまま走っていたんですよ・・・このレガシィ。
通常だと通関や関税の関係が簡素化される手続きをして、ローマ字表記の「カルネナンバー」と言われるナンバーを付けているのですが、何故かこのレガシィはオリジナルな練馬ナンバーのままで走っていたので最初追い抜かれた時のビックリ度はかなり高かったです~。

どう言う経緯で、このレガシィが練馬ナンバーのままケニアに渡ったのかとか、どうして国際競技のWRC格付けのサファリラリーに練馬ナンバーのままエントリーし、そのまま本番コースを走れたのかとかが、当時もすごく疑問に思ったのですが、20年経った今でも解明しておりません・・・

だれかご存知の方がいらっしゃいましたら、コメント欄ででもご教示下さいませ~。

ちなみに、写真を見ると車体には東京は北区の某有名モータースポーツショップのステッカーが貼ってありました。





おまけその1、「カルネナンバー」の画像

上画像は、当時ラリー前の車検会場で撮った三菱チームの篠塚健次郎車。
「KNY」は、「神奈川横浜」の略号。国内だと「横浜」だけの漢字表記ですが、カルネナンバーの場合は県内に複数のナンバー表記がある場合、頭に都道府県の略号が付きます。

当時のスバル車の場合、群馬ナンバーの車両が殆どでしたが、群馬は当時ナンバーは一つしか無かったので「GU」が略号でした。今はご当地ナンバーが出来ているので、変わっているのでしょうね~。




おまけその2、当時のスナップ色々

競技前の車検前のスバルラリーチーム御一行。
この時だけ、販促なのかワゴンでの参戦でした。したがって?ミニカーとかが無いのですよ・・・欲しいのに~。

こちらは、ゴール後の再車検後チームご一行が泊まっていたホテル前に戻って来た所。
カーナンバー14がケニア在住のパトリック・ジル車。16番は、三好秀昌車。
クラス結果は、三好、ジルの1-2でした。

上画像右側が、パトリック・ジル。
日本へ留学?していたとの事で日本語はペラペラ。

ケニアの「ジモティ」なスペシャリストラリードライバーとしては、ジョギンダ・シンやイワン・ダンカンなどがおりますが、ネイティブな黒人系で上位に入るジルちゃんはギャラリーの熱狂度が桁違いでして、WRCレギュラードライバーを凌ぐ程でした。
画像中央は、「髭の親分」として名を馳せた故・小関典幸氏。その隣りの寝巻き姿みたいな人はラリージャーナリストの飯島氏。後ろにいるのは、全国スバル販売店から派遣されて来たディーラーメカニック、通称「デメカ」の面々。


国内を赤道が横切るケニア。移動中に赤道を跨いだりします。上画像は、確か北半球側から赤道を示す看板を撮った絵柄。
赤い線は当然ですがありませんでした・・・



水増しびびお

サファリラリーに参戦したヴィヴィオは、’94の時にメインで参戦した時のドキュメントが販促などで使われたため有名ですが、’96サファリにも2台エントリーしていました。

ただ、聞いた話に寄ると主催者側からの要請を受けた水増しエントリーだったとの事でして、スタートはした物の初日にすぐリタイア届けを出し離脱。乗っていたドライバーはインプレッサのメカ担当に復帰と言った流れでした。

水増しエントリーとは言え、国際格式の競技なのでクルマ自体は競技前車検に合格するように仕上げられていました。過給機の出力を絞るリストリクターも、チャチな作りでしたがちゃんと装備していたのを憶えております。

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ZENON

510ブルかに始まり“サファリ”と言えば日本車という時代も有りましたが、三菱はラリーアートも解散したようで、ランエボも終了と、市販車部門を除けば、世界のラリーシーンから日本勢の影は、すっかり消えちゃいましたね~。
このレベルまで行かなくても、以前は街中に“泥系”のクルマが結構走ってましたが、今では、そもそもベースとなる車も少なく、すっかり衰退ジャンルですね・・・。

>ジル・・・
現地では大人気だったらしいですね~!!
場所はアフリカでも、走っているのは外国人ばかりの中、孤軍奮闘でしたから、無理も無いかもしれませんが。

by ZENON (2016-04-09 20:00) 

ひまねね

ZENONさまへ、
日本車メーカーワークスもWRCラリーシーンから撤退して行き寂しい限りですが、サファリその物もコストの関係等でWRCから外れて久しいです・・・

ジルちゃん、国内の人気ひとしおだったのは、それまでのケニアンドライバーがインド系や白人系と言った旧支配者層の人種だったのに対し、黒人系ドライバーだった所が多分に影響しているかと。
当時、ジルちゃんの威光は絶大でして、行きも帰りも入国・出国審査なんて無く、国内線の様に飛行機乗降りしていました・・・
by ひまねね (2016-04-10 07:59) 

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