河口湖飛行館参拝記~2015 [お出掛け話]
速報の続報な、河口湖自動車博物館・飛行館の参拝記であります。
既報の通り、エアコンの壊れたあかびびおでの行程なので、いくらか涼しい朝5時に自宅を出発。
高速は最小限の設定に付き、圏央道の川島~相模原IC間のみの利用。相模原ICからはR413道志みちで山中湖に出て河口湖に向かうと行った行程。
そんなにアチアチする事も無く、9時半位に無事到着。
飛行機が上に置いてありますが、こちらは自動車博物館の建物。お間違え無い様に・・・
飛行館は、別の建物です。下画像のあかびびおの後が飛行館。
数年ぶりに訪れて見ると、駐車場の舗装がキレイになっていました。
余談ですが、まだ平日開館前なのでガラガラですが、その後続々と来館車両が。土日は満車にもなるとか聞きました。確かに以前の記憶よりも来訪車両が多かった・・・
館内は、最近シバリが多くなったので小さい画像で失礼しますが、零戦関係は大きな変化はありませんでした。
小さい画像で失礼しますと書いておきながら、ひとつ新たな発見をしたので大きな画像で1枚。
陸攻の操縦席部分を見上げていると、車のサイドウインドーの様に上下できる窓があるのを発見!横は前部羽目殺しだと思っていたひまねねでした。
その他、建物脇屋外のちょっと時代の下がった展示?機は若干模様替えされておりました。
以前は見かけなかった、T-6テキサンが出現。テキサンのいる辺りにあったハチロクとサンサンはちょっと引っ込んでます。
上画像のサンサンの後にあった小屋が無くなり、小屋の脇に野ざらしだった機体が飛行館建物脇に移動していました。
ちょっと、さらし首風味な展示?個人的には・・・・・・・
展示?しているので、手前の柵に機名がテープで貼られていましたが、
余談ですが、旧日本軍では米海軍(海兵隊)使用の戦闘機F4Uコルセアを「シコルスキー」と呼称していたそうで、当時の従軍者の方の書いた体験記等には、「シコルスキーと空戦」とか、「シコルスキーに地上銃撃され云々」等な記載を結構見かけます。
何でも、リサーチ不足だったのか?コルセアの製造元と当時提携関係だったシコルスキー社の名前が情報として伝わったとか・・・ウィキに出てました。
今年も2年前同様な1時間程の滞在でしたが、新たな収穫もあったのでまぁ満足して撤収。
帰り際に、こんなお土産を自分用に買って退館しました。
頁数も増え画像はカラーで、装丁もしっかりしてます。内容の方も、「こんな事知らなくてもプラモは作れるし、生きていくには必要ない無駄知識」なのでしょうが、流石に実機を復元製作する過程での画像やお話なので、「○メカニック」よりも濃い内容です。
ただし、パワーアップしているのは販価の方も同様でして、同様な内容・体裁の「陸攻よ甦れ」も一緒に買い求めようとすると、諭吉さんが1枚無くなってしまう・・・
「陸攻よ・・・」の方はまた来年かな?
こちらのメイン施設な「自動車博物館」の方は今回も立寄りませんでしたが、駐車場に散らばる雑多な車両は後日ご報告します。
こんなのとか、
こんなの等々。
帰路は、来た道をとんぼ返り。
山中湖~道志道~圏央道と同一なルートで川島ICで高速OUTしたのが1330時くらい。
この後、遅めな昼食を取り(この辺は別記事にて)、帰りにちょっと寄り道したのがこちら。
「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 跡」、最近ネットで見つけて行こうと思っていたのですが、こちらは土日のみの見学日なので中々行けません、おいら。
中はZENONさまのレポートをお待ちします(と、また投げて見たりします・・・スイマセン)。
今回は帰り道からそんなに外れないので、とりあえず外面だけでもと寄り道。
鎖の張られた入口から奥を覗いた画像が、↓。
当時の物が全部完全に残っているのではありませんが、終戦後軍の解体に伴ない空いた兵舎を、外地からの引揚者のためのの住居に転用され最近までは居住者もいたため、解体もされずほぼ当時のままの建物が残っていたとか。
最後の居住者が転居した後、建物は解体し更地にされた後、地権者の国へ返される予定でしたが、市民運動などで桶川市が買収したとの事。
当時、この飛行学校で寝起きしていた訓練生は、ここから荒川を下流に進んだ所にある飛行場で飛行訓練に望んでいたそうです。飛行場は1キロちょっと離れた場所ですが、その当時だとバスやクルマで移動なんて絶対無いので、隊列組んで行進か、駆け足で飛行場へ行ったのかな?なんて。
その飛行場は、今も「ホンダエアポート」として使われております。
分教場跡を覗いた後、正規帰り道に戻る方向なので、ついでにホンダエアポートも寄って見ました。
あかびびおの後方が、滑走路。
上画像を撮っているおいらの背後にヘリポートや管制塔及び整備区画があります。
昔々のお話ですが、「セーフティーパーク埼玉」と言うホンダ直系のモトクロスコースが併設されていたので、当時何回かこの地に来た事があります。
もう20数年前のお話ですが、その当時は、上画像あかびびおの直後の部分が「Cコース」と言われていた初心者向けコースで、画像左側には全日本選手権も出来る「A・Bコース」と言う区画がありました。
おいらは、Cコースしか走った事が無いのですが、走りの思い出他に飛行機関連な思い出が。
上画像、ただの道路だと当時思っていたのですが、格納庫地区から滑走路へ向かう誘導路がメインな様で、シビックのフォローミーカーに先導された軽飛行機がこの道を滑走していった事を見た記憶が・・・今も同じ光景が見られるのでしょうか?
もう一つ思い出が・・・
上画像の右側にある赤い看板の辺りかな~?・・・空自の練習機T-34が置かれていました。
おいらが見た時はかなり末期だった様子で、囲いも無く荒れ放題でした・・・が、画像は無く記憶のみの光景です。
帰ろうとすると、駐車場の片隅にあったこんな物を見つけました。
旧軍の遺物かも知れない?と画像は収めましたが、まだ精査していません。こちらは何か解れば後日ご報告します。
今回はおまけなし、次回予定タイトルは・・・
既報の通り、エアコンの壊れたあかびびおでの行程なので、いくらか涼しい朝5時に自宅を出発。
高速は最小限の設定に付き、圏央道の川島~相模原IC間のみの利用。相模原ICからはR413道志みちで山中湖に出て河口湖に向かうと行った行程。
そんなにアチアチする事も無く、9時半位に無事到着。
飛行機が上に置いてありますが、こちらは自動車博物館の建物。お間違え無い様に・・・
飛行館は、別の建物です。下画像のあかびびおの後が飛行館。
数年ぶりに訪れて見ると、駐車場の舗装がキレイになっていました。
余談ですが、まだ平日開館前なのでガラガラですが、その後続々と来館車両が。土日は満車にもなるとか聞きました。確かに以前の記憶よりも来訪車両が多かった・・・
館内は、最近シバリが多くなったので小さい画像で失礼しますが、零戦関係は大きな変化はありませんでした。
小さい画像で失礼しますと書いておきながら、ひとつ新たな発見をしたので大きな画像で1枚。
陸攻の操縦席部分を見上げていると、車のサイドウインドーの様に上下できる窓があるのを発見!横は前部羽目殺しだと思っていたひまねねでした。
その他、建物脇屋外のちょっと時代の下がった展示?機は若干模様替えされておりました。
以前は見かけなかった、T-6テキサンが出現。テキサンのいる辺りにあったハチロクとサンサンはちょっと引っ込んでます。
上画像のサンサンの後にあった小屋が無くなり、小屋の脇に野ざらしだった機体が飛行館建物脇に移動していました。
ちょっと、さらし首風味な展示?個人的には・・・・・・・
展示?しているので、手前の柵に機名がテープで貼られていましたが、
「シコロスキー」
確か「シコルスキー」だった筈だが、ここにもおいらの知らない何かが有るのかと帰宅後検索して見ると、実際の発音を基に文字書きすると「シコロスキー」が近いらしい様子ので、あながち間違えでも無いみたい。余談ですが、旧日本軍では米海軍(海兵隊)使用の戦闘機F4Uコルセアを「シコルスキー」と呼称していたそうで、当時の従軍者の方の書いた体験記等には、「シコルスキーと空戦」とか、「シコルスキーに地上銃撃され云々」等な記載を結構見かけます。
何でも、リサーチ不足だったのか?コルセアの製造元と当時提携関係だったシコルスキー社の名前が情報として伝わったとか・・・ウィキに出てました。
今年も2年前同様な1時間程の滞在でしたが、新たな収穫もあったのでまぁ満足して撤収。
帰り際に、こんなお土産を自分用に買って退館しました。
「零戦よ甦れ Ⅱ」
以前から売られていた小冊子「零戦よ甦れ」のパワーアップ版。頁数も増え画像はカラーで、装丁もしっかりしてます。内容の方も、「こんな事知らなくてもプラモは作れるし、生きていくには必要ない無駄知識」なのでしょうが、流石に実機を復元製作する過程での画像やお話なので、「○メカニック」よりも濃い内容です。
ただし、パワーアップしているのは販価の方も同様でして、同様な内容・体裁の「陸攻よ甦れ」も一緒に買い求めようとすると、諭吉さんが1枚無くなってしまう・・・
「陸攻よ・・・」の方はまた来年かな?
こちらのメイン施設な「自動車博物館」の方は今回も立寄りませんでしたが、駐車場に散らばる雑多な車両は後日ご報告します。
こんなのとか、
こんなの等々。
帰路は、来た道をとんぼ返り。
山中湖~道志道~圏央道と同一なルートで川島ICで高速OUTしたのが1330時くらい。
この後、遅めな昼食を取り(この辺は別記事にて)、帰りにちょっと寄り道したのがこちら。
「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場 跡」、最近ネットで見つけて行こうと思っていたのですが、こちらは土日のみの見学日なので中々行けません、おいら。
中はZENONさまのレポートをお待ちします(と、また投げて見たりします・・・スイマセン)。
今回は帰り道からそんなに外れないので、とりあえず外面だけでもと寄り道。
鎖の張られた入口から奥を覗いた画像が、↓。
当時の物が全部完全に残っているのではありませんが、終戦後軍の解体に伴ない空いた兵舎を、外地からの引揚者のためのの住居に転用され最近までは居住者もいたため、解体もされずほぼ当時のままの建物が残っていたとか。
最後の居住者が転居した後、建物は解体し更地にされた後、地権者の国へ返される予定でしたが、市民運動などで桶川市が買収したとの事。
当時、この飛行学校で寝起きしていた訓練生は、ここから荒川を下流に進んだ所にある飛行場で飛行訓練に望んでいたそうです。飛行場は1キロちょっと離れた場所ですが、その当時だとバスやクルマで移動なんて絶対無いので、隊列組んで行進か、駆け足で飛行場へ行ったのかな?なんて。
その飛行場は、今も「ホンダエアポート」として使われております。
分教場跡を覗いた後、正規帰り道に戻る方向なので、ついでにホンダエアポートも寄って見ました。
あかびびおの後方が、滑走路。
上画像を撮っているおいらの背後にヘリポートや管制塔及び整備区画があります。
昔々のお話ですが、「セーフティーパーク埼玉」と言うホンダ直系のモトクロスコースが併設されていたので、当時何回かこの地に来た事があります。
もう20数年前のお話ですが、その当時は、上画像あかびびおの直後の部分が「Cコース」と言われていた初心者向けコースで、画像左側には全日本選手権も出来る「A・Bコース」と言う区画がありました。
おいらは、Cコースしか走った事が無いのですが、走りの思い出他に飛行機関連な思い出が。
上画像、ただの道路だと当時思っていたのですが、格納庫地区から滑走路へ向かう誘導路がメインな様で、シビックのフォローミーカーに先導された軽飛行機がこの道を滑走していった事を見た記憶が・・・今も同じ光景が見られるのでしょうか?
もう一つ思い出が・・・
上画像の右側にある赤い看板の辺りかな~?・・・空自の練習機T-34が置かれていました。
おいらが見た時はかなり末期だった様子で、囲いも無く荒れ放題でした・・・が、画像は無く記憶のみの光景です。
帰ろうとすると、駐車場の片隅にあったこんな物を見つけました。
旧軍の遺物かも知れない?と画像は収めましたが、まだ精査していません。こちらは何か解れば後日ご報告します。
今回はおまけなし、次回予定タイトルは・・・
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